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2012年11月10日 (土)

社説を読む 第36回


11/4付朝日
 一定の基準を満たすNPO法人などに寄付した際、我が国でも世界有数の税制優遇を受けられるようになった。このことをご存じだろうか。

 民主党政権は昨年夏と今春の2段階で、新たな寄付優遇の仕組みを整えた。条件がそろえば、最大で寄付した額のおよそ半分が所得税と住民税の減税のかたちで戻ってくる。

 誰もが市民活動に参加し、行政や企業とともに社会の担い手になる――そんな「新しい公共」の実現をめざし、活動の場となるNPOなどを民間の資金で後押しするのがねらいだ。

 内閣府によると、全面的に新制度になった4月から8月までに寄付優遇の認定を申請したNPO法人は118で、旧制度だった前年同期の申請数の8倍に達した。10年続いた旧制度で認定を取った法人は300に及ばず、4万を超える全体の1%にも満たなかった。新制度の滑り出しはまずまずのようだ。

 税制優遇の拡充とともに、NPOが寄付優遇の認定を受けやすくする工夫が凝らされたことも大きい。新制度で認定にまでこぎつけた法人は、すでに10を超えている。

【こういう「成果」がほとんど報道されていない気がするのは気のせいですか?】


11/6付朝日
 関西電力大飯原発(福井県おおい町)の敷地内にある断層は、地面を大きくずらす危険な活断層なのか。

 原子力規制委員会が現地調査し、評価会合を開いた。問題の断層「F―6」について二つの点が明らかになった。

 一つは断層が12万~13万年前以降にできたものであるという点だ。原発の耐震設計審査指針が活断層と判断する基準にあてはまる年代の断層であることで、委員の見解は一致した。

 もう一つは活断層であることを否定できないという点だ。委員からは地滑りによる断層ではないかとの意見も出た。検討は今後も続くが、現時点では活断層説を打ち消す証拠はない。

 関電は地層の年代や地質などから活断層ではないと主張してきた。だが、今回の調査でその主張は大きく揺らいでいる。

 原発の下で活断層が動けば、主要施設が損壊し、大事故につながる恐れもある。活断層の疑いがある以上、すみやかに大飯原発の運転を止めて、詳細な調査に入るのが妥当だろう。規制委は、関電に停止を指導すべきである。

 そもそも大飯原発は夏の需要のピークにあわせ、政府が暫定的な安全基準をつくって特例的に再稼働させた。本来なら、電力逼迫(ひっぱく)の心配が去った秋には停止すべきだったものだ。

 活断層問題が浮上したのは、東日本大震災の後、旧原子力安全・保安院が過去の資料を精査した結果、安全性を疑わせるデータが次々と出てきたからだ。電力会社の甘い想定や旧保安院の審査のあり方の反省の上に、今回の調査があることを忘れてはならない。

 委員からはわずか1日の現地調査では結論を出せないとして、長期的な再調査を求める声もあがる。もちろん、拙速に結論を急いではいけない。

 だが、学術的確証を得られるまで調査して結論が先送りされるのでは、不安な状態が続く。目の前にあるのは、原発直下の断層の危険性について判断しなければならない重い現実だ。

 委員の中には公開の場では議論しづらいとの声もあるが、規制委の会合の公開は大原則だ。安全最優先の基本から堂々と議論し、決めることで規制委の信頼確保につながる。

 一定の調査と検討の後もなお、意見が割れることもありうる。その場合、安全側に配慮して「黒」とすべきである。事故が起きた時の影響の重大性を考えれば、それが当然の判断だろう。規制委には、その一線を譲らないでもらいたい。


11/8付読売
 無罪を決定付けたのは、被害者の手の爪に残っていた付着物だ。マイナリさんとは異なる人物のDNA型が検出されていた。

 判決はこの鑑定結果を重視した上で、「女性が首を絞められて殺害される際、渾身(こんしん)の力で犯人の手をつかんで引き離そうとしたと想定される」と認定した。

 弁護側が爪の付着物について、検察側に鑑定を求めたのは、マイナリさんが服役していた2007年1月のことだ。しかし、検察は「爪からは何も検出されていない」と付着物の存在さえ否定する回答をしていた。

 その後、女性の胸などに残された体液から第三者のDNA型が見つかった。これにより、再審開始が決定し、追いつめられた検察は「存在しない」としていた爪の付着物を鑑定した結果、同じ第三者のDNA型が検出された。

 ところが、あきれたことに、検察は「証拠隠しはない」と居直っている。過ちを認めず、冤罪に至った経緯の検証を一切行わない姿勢も示している。

 極めて問題である。

 自分が不利になりそうな証拠は開示しないという姿勢をたださなければ、国民の検察不信は一段と深まるだろう。

 日本弁護士連合会は昨年1月、捜査機関や裁判所から独立した冤罪検証組織を国会に設けるべきだとする提言を発表した。検察が自浄能力を発揮しないのなら、こうした声も無視できなくなろう。


11/5付毎日
 ただし、再処理をしようとしまいと、原発を動かす限り高レベル放射性廃棄物は出続ける。原発を止めても、すでに存在する高レベル放射性廃棄物を処分しなくてはならない。本来、これを真剣に検討しなければ原発政策も決められないはずだ。

 日本では高レベル放射性廃棄物を地下数百メートルの安定した地層に埋める政策を採用してきた。しかし、放射能のレベルが十分に下がるまで数万年かかり、安全に管理できるのか不安に思う人は多い。原子力発電環境整備機構(NUMO)が最終処分地を公募しているが、応じた自治体はない。NUMOの側にも真剣さが感じられない。

 こうした行き詰まりに対応するひとつの方策として参考になるのが、日本学術会議が提案する「総量管理」と「暫定保管」だ。「総量管理」は、高レベル放射性廃棄物の総量に上限を設けたり、増加分を厳格に抑制したりすることを意味する。

 増え続ける廃棄物に目を背けたまま、全国54基もの原発を稼働させてきた問題を思えば、この考え方を導入する意味は大きい。政府が、「30年代に原発ゼロをめざす」政策を誠実に進めて行く気があるなら、廃棄物の側からもその覚悟を示すべきだ。それが、「口先だけではないか」という国民の不信をぬぐうことにもつながる。

 「暫定保管」は、取り出しが可能な状態で数十~数百年間保管するという考え方だ。ある種のモラトリアムで、結局は問題の先送りに過ぎないとの批判はあるだろう。

 一方で、従来の地層処分が本当に妥当なのか、廃棄物処分の技術的発展が今後ありうるかを真剣に検討する猶予期間と考えることもできる。ただし、その場合には、国民一人一人が自分の問題として継続的に考えていくための工夫が必要になる。

 学術会議は、これまでの原発政策が電力を消費する「受益圏」と、廃棄物や事故リスクを引き受ける「受苦圏」を生み出してきたと指摘している。「受苦圏」には経済利益を提供することで折り合いをつけてきたが、廃棄物の最終処分問題にはそれを超える知恵が求められている。


11/7付朝日
 「大学の乱立に歯止めをかけて、教育の質を向上させたい」という田中氏の主張には一理ある。だが、それと現行制度にそって申請された3大学を認可するかどうかの判断は別だ。

 田中氏と文科省はすみやかに3大学の不認可を撤回し、関係者や受験生に謝罪すべきだ。

 ことは、田中氏や文科省の問題にとどまらない。

 藤村官房長官は「文科大臣が最終判断されること」と、ひとごとのように語っている。

 だが、閣僚としての資質に疑問符がつく田中氏を、あえて入閣させた責任が、ほかならぬ首相にあるのは明らかだ。

【また出たよ。明らかという名の大嘘が。】


11/7付読売
 一つの原発を維持するには、保守点検まで含め、3000人前後の技術者が必要とされる。

 だが、ほとんどの原発は1年以上、停止している。このままでは、保守点検にかかわる企業が資金難により存続できなくなる。熟練の作業員も散逸してしまう。

 原子力関連の人材の確保、育成は待ったなしの状況にある。

 提言は、原子力工学や放射線影響など幅広い分野で、大学教育などを充実するよう求めている。安全規制の人材育成や、環境教育の強化なども挙げている。

 日本は原子力大国であり、世界の主要原発メーカー6社のうち3社は日本企業だ。

 培った技術を継承するため、原子力委が指摘するように、大学の奨学金や留学制度を整備して、若者が進路として原子力分野を選択するのを後押ししたい。

 原子力委は、東京電力福島第一原発の廃炉のため、福島県に、廃炉作業のための教育機関を設けることも提案している。20年、30年にわたる長期の取り組みを支えるには必要な拠点だろう。

 日本の高い技術と、原発事故の教訓を世界に伝えるには、有能な人材の育成が欠かせない。

【技術を確保するために、原発を再稼働すべきって…。主客転倒甚だしい。】


11/8付読売
 外交・安全保障政策でも、北朝鮮、イランの核開発やシリア情勢など懸案が山積している。

 特に注目したいのは、経済・軍事で膨張する中国への政策だ。

 米国が「太平洋国家」としてアジア重視の戦略を打ち出していることは、地域の安定と繁栄に大きな意味を持つ。米国は同盟国の日本をどう位置づけ、中国とどのような関係を築くつもりなのか。

 日本も、米国主導の環太平洋経済連携協定(TPP)への早期参加を目指し、米国と政策協議を重ねる必要がある。自らの役割を果たす中で、日米関係をより強固にしていかなければならない。

【アメリカと一緒に心中しようとしてるとしか思えない。】


11/6付日経
 田中真紀子文部科学相が、来春開学予定だった大学3校の設置を不認可とした。大学設置・学校法人審議会の答申を覆す異例の事態だ。準備を進めていた関係者は猛反発し、3校を志願する受験生の間にも動揺が広がっている。

 不認可になったのは秋田公立美術大、札幌保健医療大、岡崎女子大で、いずれも短大や専門学校を4年制大学に移行するケースだ。

 3校を不認可とした理由は設置基準に合わないからではなく、大学の乱立を招いた設置認可のあり方そのものを見直すためだという。制度改革と個別の大学の開設可否を混同しており、尋常な判断ではない。文科相は速やかに不認可を撤回すべきである。

 審議会は今月1日、教育課程や教員数、財産などの基準を満たしているとして、ほかの大学の学部増設などとともに、3校の新設を認める答申を出した。大臣はこれを尊重するのが慣例だ。

 ところが田中文科相は「大学が多すぎて教育の質が低下している」「認可の判断を審議会に任せていいのか。審査がルーティンワーク化している」などと批判し、3校の開設について唐突に不認可とした。ほかの政務三役や事務方との調整もなかったという。

 たしかに1990年代以降の規制緩和で大学の数は増え続け、現在では全国に783校と20年前の1.5倍に達する。多くの私大で定員割れが起きるなど現状は深刻だ。一方で私学助成金は膨らみ続けてきた。設置審査のあり方も含めて改革を急ぐ必要はある。

 しかし、こうした制度改革と、個々の大学の開設とはまったく別の問題だ。来春の開学を控えて教員採用や入試の準備など進めていた3校への影響は大きい。短大からの編入を志願し、ほかの進路を考えていなかった学生は途方に暮れているという。

 大臣の「鶴の一声」が、これほど理不尽な状況を生み出すことを田中氏は想像していなかったのだろうか。不認可は裁量権の逸脱だとして、訴訟を起こされる可能性もある。ここは過ちを潔く認め、不認可の撤回を決断すべきだ。

 野田佳彦首相は、田中氏を文科相に起用した狙いについて「発信力に期待」などと語っていた。しかし田中氏は外相時代に政治主導をはき違えたような振る舞いが問題になり、今回も言動を不安視する声があった。案の定というべきで、首相の任命責任も重い。

【大臣は慣例に従え。大臣は官僚に従え。日本人はアメリカに従え。日本はアメリカとともに殉死せよ。ですか。】


11/9付毎日
 田中真紀子文部科学相が大学設置・学校法人審議会の答申を覆し、3大学の来春開学を「不認可」とした問題は、文科相が一転「撤回」し、1週間足らずで一応収束した。

 だが、その責任は看過できない。

 唐突な不認可表明と後に二転、三転する発言は混乱に拍車をかけた。さらには「官僚が私の真意をくみ取れなかった」などという釈明は、責任転嫁といわれても仕方ない。

【大臣は官僚に従えということですね。】

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